春漂流記

目指すは「無意識」の存在証明。

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12 2011

無力感と、厭世観と、偽善と、ため息と、ため息。

ラジオの向こうでスタジオが揺れてた。
毎週金曜日のおちゃらけた時間は、戦慄に変わる。
それから丸一日。

できることを考えるけど、結局、こっちは何事もなかったかのように、また生活が始まってる。
電車は止まってるけど。
それだけが、大変なできごとを私に教えてくれてる。

だけど、テレビを見れば見るほど、現実感が薄くなっていく。

うちの親戚はみんな大丈夫だろうか。

twitterでは、善意とデマが、焦りと制止が駆け巡ってる

まるで、自分は関係ないって思ってしまっているようで、そんな状態の自分がすごく嫌。

ネガティブになっちゃってるな。危ないな。

よし。気分を変えて、月曜日から何をするか考えよう。
今日と明日はその準備。
きっと、月曜日にこどもたちはかなり状態を持ち崩して来るだろうし。

Posted by | 14:52 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

04 2011

意識

59と0の狭間に、虚無を思う。

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

Posted by | 13:39 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

13 2010

たらこすぱ鍋(追記なし)

鍋が食べたい。そう思ったのだけど、今家にある食材を集めても、闇鍋くらいしか完成しない。多分。
そこで、鍋は諦める。
しかし、戸棚にパスタ(スパゲティーニ)を発見したので、これでスープパスタができるのではないか、と閃いた。
スープパスタで鍋。
生クリームと牛乳と明太子と玉葱と卵はある。
めんたいクリームスープパスタ鍋。
鍋の部分が無理矢理すぎる。
単に、洗い物が楽というだけだ。
しかし、やってみる価値はあるな。あ、部屋にコンビーフがあった。
よし。
まずは、パスタを茹でながら、ソースというかスープを作ろう。
の前にトイレ。

Posted by | 21:30 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

10 2010

クリスマスツリー

曇りガラス越し、もっと言えば、室内の熱で結露したガラス越しに見る、ツリーのイルミネーションが好き。

幸せという単語に連想される情景のひとつだと思う。


青いLEDのイルミネーションは、寒々としてあまり好きではないです。
やはり、暖かい白熱球の色が一番です。

Posted by | 17:12 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

26 2010

ネタ探し。

ロボットもの。
どんなロボットか。
やっぱりタイヤ走行かな。
人型にするメリット無いな。
戦車みたいなのじゃダメなのか。

学園もの。
また同じ轍を踏むのか。
でも、「うなだれファンタジー」は、設定こそもったいないので違う形でリファインしなきゃ。
タイトルに引きずられた悪い例。

まずは、中編くらいから頑張ってみようか。

巨大戦車に蹂躙される学園もの。
二番煎じ感が拭えない。

戦車で通学。

頭痛い。
ん?
頭痛もの。どうか。
頭痛って、超能力ものの基本か。
うーん。

仕事せな。

Posted by | 19:03 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

21 2010

チャック

社会の窓なんて洒落た言い方もするが、実情はそんな綺麗なものじゃない。つまるところ、機能美の産物ではある。
それがよく開いている。
何を隠そう、私のことだ。
ズボンを履いた際、用を足した際、閉めるのを忘れるらしい。
もちろん、勝手に開くこともある。
サイズの合っていない(主にぶかぶかな)ものを履いていると、座ったりしゃがんだりの連続で開くようだ。
この場合は不可抗力が適応されるだろう。
ありがたいことに、一物がコンニチハしていたという経験はない。本当にありがたい。
焦って挟んだことはある。
痛いの何のって、例えばそういう拷問があったらと思うと背筋が凍る。
ではなぜ、閉め忘れるのか。
カント的な心理学で分析するとすれば、抑圧からの解放を深層心理が求めているということか。
カントに謝れ!土下座だ!いや、皮を挟んで猛省しろ。ものども、であえ!であえ!そ、それだけは、それだけは勘弁してくだせぇ!家には私の帰りを待つ犬猫がおりますゆえ、どうか、どうか!

ぎゃー!

単におっちょこちょいである。多分。
ついさっきも解放していた。
もうなんか慣れっこになってしまっていて、日中街中でもさりげなさを装わなくても、さりげばく閉めることができるようになった(気がする)。
あまりの自然さに、誰も気づいていない(訳はない)。
本心から治したいと思っていなければ、治らないのが日々の癖だ。
どうでもよくなった時から、人間の堕落は始まっている。
ああー、私はダメ人間だ。
ダメ人間は馬に蹴られて然るべき。
暴れ馬だー!逃げろー!ほら、アンタも逃げるんだよ!何ぼーっと突っ立ってんだ!バカ!いや、私は用を足した後にチャックも閉めることが出来ない男です!馬に蹴られるべき存在なのです!何を馬鹿なことをいっとるんだ!死ぬぞ!?え?死ぬの?死ぬのはやだなぁ。

ぎゃー!

洗剤と柔軟剤を変えました。
そういう気分転換も悪くないと思うのです。

Posted by | 15:30 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

12 2010

超常現象があってもいいじゃない

地方の小劇団の記念公演のような、気合いの入った舞台を見た気分。
主演の女の子は、きっとこれが初舞台でちょっと浮いてるけど、素直さが際立っててこれこれでアリかもなぁ。
舞台俳優特有のの押し付けがましい演技が、エスパーという設定にはピッタリだなぁ。
もしこの舞台を見に行ったとすれば、そんな感想が出るんじゃないか。
実際は、映画ですけどね。
「曲がれ!スプーン」
主演は長澤まさみですし。
舞台原作はあるんですが。

「なくもんか」と豪華二本立てで、一晩のうちに観てみた感想で言えば、エンターテイメントぶっちぎりの「なくもんか」よりも、楽しめた。
これは、私の好みの部分も大きいです。でも、「なくもんか」の狙いすましたギャグは、見ようによっては非常に寒い。
なんにしても、阿部サダヲのテンションを2時間超えで見せられると長く感じる。
この二本の映画に共通しているのは、「舞台っぽさ」。それから、「泣きのスイッチ」だ。
とにかく、先入観なしで観てみれば、どちらもほどよく泣ける。
ただ、伏線の回収は、「曲がれ!スプーン」の方がうまいと感じる。いや、スタイルの違いだから、これこそ好みの問題か。

「いい人」と「他人の不幸」はセットで笑える。
それは、人の人たる人ゆえの残酷さだけど、卑下する訳でも、安心するためでもなく、単純に笑えたならいいのかなと思う。

滑稽だと笑われても、一生懸命生きるということ自体、なかなかできることじゃないけどね。

Posted by | 14:08 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

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