春漂流記

目指すは「無意識」の存在証明。

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06 2010

パンダウサギコアラの話

パンダウサギコアラをご存知だろうか?
若い人では知らない人も多いかもしれないが、1960年代に世界を賑わせた、ある新種の動物についてのニュースがあった。
中国の奥地でパンダの探索及び研究を行っていたイギリス人生物学者ヒーズ=ライアーは、それまでパンダを始めとする世界中の希少動物研究の第一人者として世界的に有名だった。
彼は、パンダの生育地の特定や、パンダが好む味の竹の交配、パンダの愛らしさを心理的に説き明かすなど数々の研究成果をあげていた。
しかしこの、世界を揺るがす新種発見を発表したのを境に、トンデモ学者のひとりに数えられるようになる。
1958年中国広東省奥地において、ライアー博士とその研究室の研究生たち、そして中国軍部による合同調査の際に起こったこの珍獣発見騒動の発端は、同行していたナショナルジオグラフィック誌記者エイルコット=ナイコッツの手記に、以下のように描かれている。

竹林の奥の方でガサガサと草を揺らす音が聞こえた。
その場にいた全員が足を止め、息を飲む。静けさに満ちた竹林に、確かに我々以外の何かが潜んでいるのだ。
銃を肩から提げた兵隊達が、周囲を警戒する。
博士の助手イナーイ=フォントゥワが、現地に住む小数民族の老案内人ユ=ウソンの側に寄り、たどたどしい調子の中国語で何事かを尋ねる。
「………?」
「………!」
イナーイは、一瞬はっとした表情を見せ、それから博士を振り返りこう言った。
「教授!彼が、白黒の模様を見たそうです!」
「確かか!?」
余程のことがあっても、滅多に大声を出さないことで有名な(彼は英国紳士の見本のような男である)ライアー博士が叫んだので、私はまずそのことに驚いた。それから、イナーイの言葉の意味をようやく理解し、もう一度驚いた。
博士がユ老人に走り寄る。博士は滅多に走らない男でもある。
「どっちだ?」
教授が老人に尋ねる。今度はすぐさま通訳が駆け寄る。
「……?」
「………!」
「向こうだそうです」通訳と老人が同時に、私の立っている斜め前方を指差す。
キャンプを出発して10時間、棒のようになっていた私の足に、力が漲っていくのを感じた。
イナーイと数人の学生、そして博士が駆け出す。その手には、麻酔銃が握られていた。私も置いて行かれないよう走り出す。
~中略~
「いたぞ!」
「そっちだ!」
「早いぞ!」
「回り込め!」
林の奥から怒号と共に、麻酔銃の放たれる音が数発響いた。しかし、パンダを捕らえた気配はない。
私は、草に足を取られそうになりながらも、懸命に音のした方へ走った。
私の記憶が正しければ、パンダは非常に大人しく、たかが一頭捕らえるために、大の大人が十数人がかりで竹林を駆けずり回らなければならないような生き物ではなかったはずだった。
それでも、ついに野生のパンダをこの目で確かめる時が近づいていると、何故か確信していた。私はハイスクール時代の初めてのデートと同じくらい、胸の高鳴りを感じていた。カメラを持つ手が汗ばんでいた。
その時だった。私のすぐ前の草むらから、白黒の小さな塊が飛び出してきたのだ。
私は(人生において、あんなに素早く動けたのはノルマンディーとあの時だけだ)咄嗟にカメラを投げ出し、その白黒に飛び付いた。
無我夢中だった。腕の中で暴れる白黒のそれは、最初こそ手足をばたつかせ私に噛み付こうとし、その鋭利な爪で私の眼球をえぐろうとしていたが、観念したのか次第に大人しくなった。
「こっちだ!早く!」
私は息を整える間もなく、必死に叫んだ。
声を聞いて、皆が駆け寄って来る。
私は腕の中で荒く息をするその動物の『長い耳』を掴んで、立ち上がった。
もう一度言うが、長い耳を、である。
全員、目を点のようにして私を見つめていた。いや、正確に言えば、私の手が掴んだそれを見つめていた。
博士が私に走り寄って、私の手からその白黒で耳の長い小さな生き物を奪い取り、こう叫んだ。
「なんってこった!こいつはまるでウサギじゃないか!」
確かに、それはウサギによく似ていた。むしろ、シルエットのみで言えばウサギそのものに見えた。
しかし、その目鼻立ちは、私が幼い頃に動物図鑑で見たパンダのものだった。手足に生えた爪も、おおよそウサギのものとは思えない鋭さだった。
大きさと耳と後ろ脚が長い以外は、パンダだった。
「パンダ、ウサギ?」
イナーイが呟いた。
竹林を静寂が包んでいた。
私は、転がったカメラを拾い上げて(エルンスト・ライツの作ったカメラの頑丈さには感謝しなくてはならない)、それから博士に向けシャッターを切った。
博士の表情は、私がこれまでの人生で撮影したどんな被写体のそれよりも奇妙なものだった。

~エイルコット=ナーイコッツ著「エイルの世界の食卓万歳」より抜粋~

このパンダウサギを、ライアー博士は一応キャンプに連れて帰ったが、軍の司令官は博士がこの奇妙な動物をイギリスへ連れて帰ることに断固反対し、自然に帰すよう迫った。一行は更に1週間、パンダ捜索を続けたが遂に野性の『パンダ』を発見することはできなかった。
後に知ったのだが、実はその一帯(広東省)にはパンダなど一匹たりとも棲息していなかったそうだ。
しかし、博士は捕まえたパンダウサギを周到にも(簡単に言えば、荷物検査の役人と兵士に小金を握らせただけだ)手荷物の中に隠し、イギリスへ向かう飛行機に持ち込んだのだった。
その機内でのこと。博士は老眼鏡を取り出すために革製のバッグを開いた。
覗き込むと、パンダウサギは至極大人しく寝ており、博士はまた奇妙な笑みを浮かべる。
老眼鏡は見つからず、ため息をついた博士はパンダウサギの横に、瓶を見つけた。
彼の生まれ故郷で作られる、琥珀色のアルコール飲料である。
博士は小さく舌なめずりし、顔を上げると、おもむろに右手を掲げ指を鳴らした。
「ちょっといいかね?」
彼の後方で軽く船を漕いでいたスチュワーデスが、慌てて手の甲で涎を拭き、「いかがいたしました?」と博士の横に立つ。
「グラスに氷を」
「かしこまりました」
目にも留まらぬ早さでスチュワーデスはグラスを用意し、博士のサイドテーブルに置いた。
博士はバッグに手を突っ込み、瓶の首を掴んで引っ張り出した。
妙に重い。
博士の手にぶら下がったものを見て、スチュワーデスが叫んだ。
「コアラ!?」
パンダウサギは、その腕と足でしっかりとウイスキーの瓶を挟み込んでいたのだった。
その格好は、オーストラリアに生息する小型の有袋類に、なるほどよく似通っていた。
そんなこんなで、すっかり混乱しヤケになった博士は、機内でウイスキーを一瓶飲み干し、酔った勢いでその生物に名前を付けた。
パンダウサギコアラ、と。

イギリスに戻った博士は、長旅の疲れもなんとやら、気が違ったかのように論文を執筆。パンダウサギコアラを、新種の珍獣として学会に発表したのだった。
この事実に、中国政府は猛反発。阿片戦争以来の大イギリスバッシングに発展する。学会は中国と事を構えたくないイギリス政府からの圧力に屈し、半ば強引に博士の論文を捏造と断定。
博士は学会から追放される。
その後、事態は鎮静化に向かうと思われたが、程なくして論文は珍獣ブーム真っ盛りのヨーロッパにおいて、珍獣マニアやオカルトマニアに支持されることとなる。
結果、博士はトンデモ学者として広く知られることになったのだった。
日本でも、この論文はオカルト系雑誌やテレビで取り上げられ、ネッシーやツチノコ、UFOと並びブームの火付け役のひとつとなった。
しかし1972年、上野動物園に中国から本物のジャイアントパンダがやってきたのとほぼ同時期に、パンダウサギコアラの名前は世界中のメディアから消える(あの、学研ムーでさえ取り上げない徹底ぶりである)。
そうして、パンダウサギコアラは人々の記憶から少しずつ消えていった。

あれから約半世紀。日本において、いや、世界中でパンダウサギコアラが話題になったことを知る者は少ない。
だが、まったく別の形で我々はそのブームの一端を垣間見ることができる。
高田ひろおという作詞家がいる。国民的大ヒット曲「泳げたいやきくん」などの作詞で知られるが、彼の代表曲のひとつに「パンダ・うさぎ・コアラ」がある。
1980年代に書かれ、NHKで放送される「おかあさんといっしょ」などで、今も歌われる児童唱歌の名曲だ。
彼について、こんな話がある。高田がこの詩を書く数日前、東京神田のとある小さな古書店で一冊の絵本を買っていた。1938年、アメリカの動物園で、パンダが始めて中国外で一般公開された時の様子を描いた絵本だった。作詞に詰まった高田は何気なく絵本を手に取りパラパラとページをめくる。そしてその最後のページに、小さな新聞の切り抜きが貼られているのを見付ける。
そこには、「中国奥地で珍獣発見!パンダウサギコアラ」という見出しが躍っていた。
高田はひとしきり懐かしさに浸りつつも、久しぶりに目にした言葉の語感に軽快さとかわいらしさを感じ、その日のうちに詩を書き上げた。高田は、後に友人にこう語っていたそうだ。
「あの日絵本を買うことがなければ、パンダウサギコアラなんて思い出すこともなかったと思うし、この歌もきっと生まれてなかっただろうね。まぁ、あの(新聞の)切り抜きも、いつの間にかどっかいっちゃったけどね」

最後に、ヒーズ・ライアー博士と彼がイギリスへ持ち帰ったパンダウサギコアラのその後について記そう。
学会を追われた博士は精神を病み1962年、自殺を図るが未遂に終わり、博士は療養を経て1970年頃アメリカへ渡った。彼はアメリカで、未確認生物(UMA)の研究に没頭する。
しかし1976年、博士は飛行機でのスカイフィッシュ捕獲に向かったコロラド砂漠で、同行のパイロットと共に消息を絶つ。享年61。
一方、パンダウサギコアラは、博士の研究室を受け継いだ助手のイナーイ・フォントゥワの自宅で飼育されていたが、1973年、家政婦が餌をやろうとした隙をついて檻から脱走。そのまま家を飛び出し、ロンドンの街へ消えた。
2010年現在、一人と一匹の消息は未だわかっていない。





(この記事はあくまでもフィクションです。実在の人物、団体、企業等とは一切関係がありません。)

書き始めてから書き終わるまで二ヶ月以上。
なんでこんなにかかったのか。
ただ、何箇所か文章が崩壊している。
ちゃんと修正するべきだけど、また今度。

思いつきだけでどこまでいけるかって話。

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Posted by | 03:43 | Comment [0] | TrackBack [0] | 妄想特急

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