春漂流記

目指すは「無意識」の存在証明。

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10 2008

魔法信者

散々オーラに対して懐疑的な事を書いておきながら、今日は魔法について肯定的に書いてみる。(別にオーラを否定してるわけじゃないしー)

とは言っても、現実の世界における魔法ではない。フィクションとしての魔法について。
ハリー・ポッターシリーズが割と好きだ。
割とというのは、どうも本(和訳)の方が苦手だからだ。訳文の文体が苦手というのが正しいかもしれない。(「賢者の石」も「死の秘宝」もペーパーバックで辞書片手に難なく読めたので)
つまるところ、映画が好きだという話。
何にせよ、初めて「ハリー・ポッターと賢者の石」を観た時は驚いた。
いわゆる遊園地(テーマパーク)の楽しさである。
擬音語で表す楽しさと言おうか。
一気にファンになった。勿論、映画の。

魔法なんて見たことがないから、いくらCGを使ったって現実味に欠けるわけで、だからこそCGを使う意味がある。見たことも無いようなものをスクリーンに登場させるという点では、余程に説得力がある。
私たちが、CGで作られたものを見て、それがどんなに精巧であっても何となく嘘っぽいと思うのは「そんなもの見たことがない」からなのであって、それは世にも美しい蝶とか深海の生物に感じる感想と似ている。
蛍の存在を知らない人に蛍の映像を見せたら「嘘っぽい」と思わないだろうか。
初めてハダカデバネズミやダイオウグソクムシを見たら、「嘘っぽい」と思わないだろうか。
綺麗過ぎる花を見て「造花じゃないの」と思わず触ってしまうのも、9.11のWTCビルに突っ込む飛行機も、超ハイスピードカメラで撮影された銃弾が鉛筆を貫く映像も、今まで見たことがないから嘘臭く見える。
だから、魔法が嘘臭く見えたってそれは当然だし、まず嘘だし、だけどCGの魔法を見て嘘臭くてつまらないって断言するのはつまらないことじゃないだろうか。
映画の中だけでも、その魔法の存在を受け入れてしまえば、我々、観る側の想像の範疇はそれこそ馬鹿みたいに広がるのに。

映画やドラマが見せてくれるのは、我々が常日頃にふと「こうだったらいいのに」とか「こうなったら嫌だな」と想像してしまうシチュエーションだ。
製作者たちは、日々、我々の想像に沿ったり、裏切ったりしながら、どうやって満足させてやろうかと思案を巡らせている。
ハリー・ポッターのシリーズはそれがとてもうまくいった例のひとつだと思う。

今、唐突に思い出したんだけど、黒澤明の「蜘蛛ノ巣城」という映画で、凄い数の矢が殿様に向かって飛んできて壁にドダダダって刺さるシーンがあるけど、あれって矢をピアノ線(?)に沿わせて飛ばしたんだそうだ。怖!
今だったらきっとCGで片付けちゃうんだろうなぁとか考えると、大したもんだと思う。
いや、CGじゃダメだとか言ってるんじゃなくてね。
CGだからこそできたスターウォーズEP1・2・3とか、ポニョとかあるわけだし。
背景の上にガラス板を2、3枚置いて撮影なんかしてたらあんな波とか大量の魚とか表現できないわけだし…まぁジャングル大帝レオのオープニングのOPみたいなのもあるけどね、昔から。
話を戻すけど、魔法って誰もリアリティを感じられないものだと思う。
見たことがないものは信じられないのが人ってもんだし。(幽霊が怖いというのは別。認識できないものに恐怖を抱くことと、存在を信じることは同義ではない)

魔法使いが杖の先から何か出したり、箒で空を飛んだりなんて、全人口中99%のマグルは見たことがないんだから。
だけど、あの映画はその99%のマグルの「魔法があったら(使えたら)良いのに」という思いを、見事に叶えてくれた。
私の個人的な感傷にすぎないのだけれどね。

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Posted by | 10:26 | Comment [0] | TrackBack [0] | パンドラの箱(映画評)

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