春漂流記

目指すは「無意識」の存在証明。

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01 2008

オーラとはナニか

一般的に、霊気とか生体エネルギーだとか説明されることが多いが、それがどこの「一般」なのかはわからない。
超自然的エネルギーに分類されるとする文献や、超科学的エネルギーと説明する文献もある。だが、オーラの存在に関する決定的な研究結果は存在しない。

科学的な根拠が無いものを全否定するつもりは無い。
しかし、キルリアン写真などを見せられて「オーラは存在する」などと思い込めるほど幸せでもないし、某番組を見て、オーラが見えるとか見えないとかそういう危うい議論に加わるつもりもない。
科学的に解明しようとする試みがあるのも知ってはいるが、いまいち面白みに欠ける。
生体の微弱な放電現象や、コロナ放電、電磁場など様々な解釈は可能だが、霊体(まずこれが曲者)が発する霊的エネルギー(霊気、霊波、波動)となると、もうサッパリである。
こういった、オカルト指数の高い現象に心酔する研究家や信者にとっては、最終的に「現在の人類の科学力では科学的に証明できない」ことをステータスにする傾向が見られる。反証性を否定した時点でそれは科学とはいえないのだ。
疑似科学を扱った商法全般に言えることだが、「信じるか信じないか」という危うい判断基準を求められる時点で、すでに科学的根拠は無いと言っても過言ではない。

「オーラの色によって性格が判断できる」ことを疑うということは、「魔法使いが箒で空を飛ぶ」のを疑うことと同様に、細心の注意を求められる。
まず疑うべきは、現象(箒で空を飛ぶ)ではなく、核心(魔力は存在するのか)なのだ。
オーラは存在するのかどうかが分からない限り、オーラを伴う現象に対して否定的な意見を述べることは危険である。
「オーラで性格がわかるのか」という疑問を発することは、オーラの存在を認めていることになりかねない。
まず、「オーラとは何か。そもそも存在するのか」というスタンスを貫き通すべきである。

もし、オーラが生体からの微弱な放電現象であるとしてそれが見える人がいるのであれば、その人は四六時中眩しくて仕方がないだろうし(だって、自分も放電してるし、世の中のあらゆる物体が発光して見えるはずだもん)、電磁場が正体でも同じことが言える。
だいたい、他人の視覚を体験することはできないので、まずは「見える」ということを疑わなければいけないのだが、それを証明するのは非常に難しい。
見えなくすることができるとか言われても、見えない側てしてみればその人の話を信じざるを得ない。
解剖したらわかるというのなら解剖してしまえば良いとは思うが、その人が、オーラは霊気だとか言うならもう証明のしようもない。
霊気って何だ。
幽遊白書か。

見えないものや、科学的に証明できないものを信じられないのは悪いことなのか?
前世や輪廻を信じられないことが、人としての弱さと何か関係あるのか?
神を信じないから何だと言うんだ?

他人から見れば少々矛盾していようとも、自分が信じたいものを信じれば良いと思う。そう思って生きてきた。
人は見たいものを見る。
それで良いのではないか。
ただ、周りに迷惑がかかる場合は別かもしれないが。
運がいい・悪いと口にする人が運命を信じていたって、別に私は構わないし、輪廻転生と先祖の霊の両方を信じてたって良いと思う。
パンが増えたって良いし、生まれてすぐに歩いたって良い。

人を勝手に不幸だと決め付けて、信仰が無いからだなどと言ってくるなんて大きなお世話だ。

昔から、道端で何かにつけ勧誘を受けるのだが、そんなに不幸そうに見えるのだろうか?
ちなみに、この日記は昨日帰る途中に「あなたちょっと、オーラが澱んでいるわよ」と、呼び止められ、鞄の紐を掴まれて、結局電車を逃したことに対する怒りからきています。

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Posted by | 04:32 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

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