春漂流記

目指すは「無意識」の存在証明。

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06 2014

見えるもの

たとえば、何かの部品を作る仕事があったとして、そのパーツが何のための物なのか分からないままに延々と作り続けるのは、とても苦痛なのではないかと思う。

苦痛というのとは違うかもしれないが、何を作っているのか、それは何に使われるものなのか、社会にどのような影響を及ぼすのか、そこまでいかなくても、誰がどんな気持ちでそれを使うのかわかるだけでも、なんとなくやる気が出るものじゃないかと思う。

何のためにやっているのかわからないことで、満たされないのはつらいことではないか。

我々支援員がせねばならないのは、作業所で働くなかまたちに「その先」を見せてあげる事ではないだろうか。
そここそ、障害者福祉からごっそり抜けおちているところではないかと感じている。
作業所そのものが発展途上の土地柄だからこその問題ではあるけれども。
そして、そこに「お金をかけられない」。
そこから始まるのが、職員たちの、どうにかせねばと頭をひねる日々であり、それは無駄な時間でもある。
無駄というと申し訳ないのだが。
どうしても、外に頼れない分が「閉じる」。
閉鎖的にならざるを得ない状況を変えねばと日々思ってはいるものの、先立つもののないことの悲しさ。

愚痴みたいになってきた。
ていうか愚痴だ。



久しぶりの、しかも今年最初のエントリーがこれとは。
今年はもう少しこまめに書こうかな。
twitterにかまけすぎですわ。

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Posted by | 16:57 | Comment [0] | TrackBack [0] | 駄文

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